昭和三四年
武生工業高校が設立された当時、教職員・生徒から校章の図案を募 集した。
多数の応募作品を参考にしてその中から選び、組み合わせて現在の校章が出来上がったのである。

両サイド はペン、後方全体は工業の 「工」 を表しており、これに よって勉学に励み、有為の工業人になろうではないかとい う決意を表している。

本校創立時には、仮の校旗として、応援旗 (黄色地に青色の校章入り)を校旗がわりにしていた。
昭和三九年一月に校旗制定委員会をつくり、美術担当の橿尾教諭がデザインに当たり、協議を重ね
たうえ、現在の校旗の原形が作成された。そして、第三回 (三八年度)卒業生が記念品として、寄贈したのが現在の 校旗である。

昭和三七年二月二十日、中西敏憲武生市長の斡旋により、かの 「コタンの口笛」の著者で、当時、昭和女子大教授石森延男氏に作詞を依頼した。
一学期も終わりに近い七月十八目、先生より直筆の校歌が届けられた。
作曲は、七月二一日、生田校長と、校歌作成委員長の六戸部先生が直接鯖江の棚地先生宅を訪ね、お願いした。
一ケ月後の八月二一日、完成された曲を 先生自ら持参して下さった。
こうして本校独立以来の念願であった校歌が、諸先生方の御尽力により出来上がり、敬愛・勤労・創造の精神をモットーとする校訓が詠みこまれた立派な校歌が出来上がった。
昭和三八年六月九日、本校第一二期工事として完成した体育館の落成式において、作曲家の棚地先生の指揮で、本校ブラスバンド部員の伴奏、生徒合唱団部員による合唱により、校歌が披露され、
つづいて、棚地先生の指揮で全員高らかに校歌を斉唱し、落成式および校歌発表会を終了した。

作詞者 1897(明治三十)~1987(昭和六二)。
児童文学作家。札幌市生まれ。
主な作品-「咲き出す少年群」、「コタンの口笛」、「バンのみやげ話」など。

作曲者 1900(明治三三)~1967(昭和四二)。
バイオリニスト。鯖江市生まれ。
日本交響楽団にて活躍。戦後、鯖江市で棚池アンサンブルを開き、郷土の音楽発展に尽力。